「全部やらなきゃ」だと見えない余白。
タイトルは壮大なんですけど…すいません。掃除機の話です。
祖母のサポートで、しばらく一緒に暮らしています。
今までの人生
ずっと小さな部屋に住んできたので、
一軒家の掃除は思ったより大変で。
なんだか、家全体に掃除機をかけるだけで
スタミナはもっていかれるし、やろうという腰もとても重たい。
(ご結婚された知り合いの方が、
軒並みルンバを買うのも、急に腑に落ちました。)
基本、掃除は好きです。
ただ気合でやってたら、
本当に嫌いになりそうなのでルールを変えました。
家を半分にして、日々交互に掃除機をかけること。
そうしたら、その分の隙間で
「今日は棚ふくか・・・」
「今日は机ふくか・・・」と小さなプラスアルファが浮かんできます。
実際にやってみたらドロドロだったりして。
「あぁ気が付いてよかった」ということも。
毎日頑張って全体に掃除機をかけてたら、気づかなかったことです。
これって、どの習慣に関してもそう。
「全部をちゃんとやろう」というスタンスでいると
パンパンになるし、やることだけに必死になってしまいます。
それって実はすごく怖いことだったりする。
その力みを感じたら、無理じゃないところに落としていく。
そうするからこそ、見えてくるものがある。
柔軟性も、少し、生まれてきます。
「全部やらなきゃ」が発動したときほど、大切な視点ですよね。
そんなことを、掃除機から考えていました(笑)
ふみ(整える力を育てるヒーラー)
🔗何してんの? / 📖シータヒーリング?



私は、ものぐさ人間。
だからこそ、「今日は机の上だけ」とか、「今日は本棚の整理だけ」。
はたまた、「今日はダンボールを捨てる日」とか小分けにしないと動けない。
全部はやれない。やりたくない。
ためグセのある自分を理解しつつ、溜めすぎない程度になる。
これが私流。
掃除機からここまで持っていくの、見事です。
「半分にする」と、なぜか減った分だけ世界が見えてくるんですよね。頑張りすぎると、床はきれいでも自分の視界がホコリをかぶります。余韻が残ります。